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すし

「すし」は、日本人にとって大変なじみ深い食べ物です。今回はその「すし」についてのお話です。

「すし」を文字にすると

「すし」は、漢字で「寿司」「酢」「鮨」をはじめ「寿し」「寿志」「寿斗」など沢山使われています。
そのうち中国からは「酢」「鮨」がやってきたようですが、「酢」は「すし」でも「飯が加わって発酵したすし」で、
「鮨」は塩辛の意味だったようです。ただその後、中国の混乱期に意味が曖昧になって日本に伝わったようです。
また、「寿」を使った表記は、縁起をかついだ当て字として日本の江戸時代に始まったと言われています。
ところで「すし」の語源はというと、一番ポピュラーなのが「酸っぱいから酢し」だそうですが、「酢い飯」(すいいひ)であるとも言われています。酢を使っても「すし」使わなくても「すし」 「すし」という言葉で表現する食べ物は、あまりにも多彩な形態を持っています。
そこで「すし」といわれるもので、まず「酢」を使うものと使わないものに分けた場合、前者は「ハヤズシ」といわれるもので、後者は、時代的にも古いタイプの「すし」でこれは飯と魚肉を熟成させ発酵により酸味が生じたら食用にするもので「ナレズシ」と一般に呼ばれるものです。
大変まぎらわしいのですが、大まかに分けると「酢」を使わずに発酵により酸味を呈するものを「ナレズシ」または、「発酵ズシ」といい、しっかり熟成させて飯を食用にしないものを「ホンナレ」と呼びます。

「すし」が今のようになったのは

日本生まれでない「すし」が今のようになるまでには、東南アジアの保存食が中国を経て長い時間と旅の末に日本に伝わったようです。日本の「すし」の記録で、最も古いものに八世紀中頃の『大宝律令』改訂版である『養老令』にみられます。最初に入ってきた「すし」についてのはっきりした記述がないものの、奈良・平安時代の木簡に主に西日本の方から都に運ばれたことが記されています。その後、室町時代に今まで捨てていた飯を魚といっしょに食べるように変わり、また、野菜の「すし」が出てくるのもこの頃です。時代が元禄になると「すし」も酢を使い即座に出来てしまう「ハヤズシ」が現れて、かつての保存食の意味はまったく無くなってしまいました。
そして時代は「握りスシ」の誕生となります。「握りスシ」は、江戸前といわれる通り江戸・本所の「与兵衛ずし」が開祖といわれています。「ワサビ」と出会ったのもこの時です。
その後、現在まで「すし」といえば「握りスシ」といわれるほど一般に普及しました。しかも、海外でも人気が出るほどのヘルシー食品にまで進化しました。「すし」は、ただの食品でなく日本文化としても今も世界に確実に広がりつつあります。

番外 刺身について

すしのネタにも使われる刺身ですが、「刺身(さしみ)」という言葉が登場したのは、室町時代の十五世紀中頃といわれています。
「刺身」という言葉の始まりは、生魚だと何の魚か分からないので「皿の上に尾を刺していた」から、または、「切り身というのを嫌って」とも言われています。

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